4 プロヴァンス地方
            
            
            ●(201)サン・トロぺ:St-Tropez
            フランス一のスノッブな所
            
             以前(1994)にも6月に来たことがあるが、街に入る道(東側)は、車の大渋滞であった。
            今回は、反対側(西側)から入り、まず、パンプローヌ海岸(Pampelonne)に行った。
            このビーチは、サン・トロペのビーチの中で、全長5 kmと一番大きいが、 
            街からは4 kmぐらい離れていて、有料駐車場が完備している。まだ、シーズン(7−8月)より
            前なので、ビーチは、比較的空いている。このビーチは広いので、商売になるのか、
            黒人の物売りの人が、20 分ぐらいの間隔で、 
            帽子、装身具、飲み物などを売りにくる(St1)。半島の上には、後で行くことになる灯台が
            見える。このビーチは40年前(1970)に、フランス初のトップレス(モノキニ)水着が現れ、
            話題になったそうであるが、今は、ヨーロッパでは、年齢にあまり関係ない普通の水着の
            1つとなっていて50-70歳代の方でも、見かける。むしろ、南仏海岸では、その率は、
            女性の1−2割ぐらいで少なく、ビキニ*)が一番普通である。北欧など、日光を必要
            とする国からの観光客も、多いと思うが、どの人がフランス人か、外人かは区別がつかない。
            この海岸は、ニースなどと違って、足元も砂地が多く、家族ずれも多く、のんびりしている(St2)。
            我々は、2時間近く水着で、のんびり日光浴したが、水温が、日本人には低すぎて、水には、
            足しか浸かれなかった。
             次に、この海岸から見える灯台の見える半島に行く。一本道かと思ったが意外に複雑で、
            結局GPSの世話になる。そこから、この海岸の全貌(St3)や湾(St4)が見渡せ、絶景である。
            灯台も、門前まで、舗装された道があるが、中には入れない(St5)。付近には、車が数台
            留っている程度である。
             次に街に行く。街には大きな建物内の駐車場が2つあり、その1つに駐車させる。シーズン
            には、入りきらないのではないかと思う。港に面した通りに行き散歩する。まず、観光案内所に
            行き、街の地図を購入する(1 Euro)。他の街で 
            は、大抵、無料であるが、観光客の多いところは、有料にした方が、無駄にする人が少なく、
            よいと思う。案内所の前などに、あまり風景になじまない彫刻物が設置されている。
            芸術作品は、人によって感じ方は違い、関係者に申し訳ないが、周りと調和しなく、
            自分にとっては、劣悪に感じられた(St6)。ここだけでなく、いくつかある(St7)。モナコの項でも
            述べたフェルナンド・ボテロの作品をけなすつもりはさらさらなく、サン・トロペの海岸通りには、
            似合わないのではないかと思うだけである。前に来た時は、無かったと思う。
            この漁村を、一躍有名にしたのは、1960年代に、当時の銀幕スターのブリジッド・バルドーが、
            裸足で歩いたことに始まる。それで、観光案内所でも、街のお祭りのポスターに、今でも彼女の
            写真を使っている(St8)。フランスでは今でもスターであるが、ほとんどの日本の若い人達は、
            彼女を知らないかもしれない。海岸通りは人通りが多く(St9)、名物の絵画の展示販売も
            行われている(St10)。街角では、静止人間銅像の大道芸も行われている(St11)。
            今回の旅行では、この街の観光客密度が一番高かった。公園では、ペタングも
            行われていた(St12)。特にプロヴァンスでは、このゲームに興じている光景にしばしば
            出会うが、プレーヤーは中年以後の男性に決まっていて、まだ、女性がプレーしているのを
            見たことがない。何故なのであろう。
            
            *) ビキニの由来 
            ビキニの由来は、ある程度知っていたが、「ロンプラ」(資料の項で説明)に説明が出ていた
            ので、それに多少手を加えてここに記す。カンヌのファッションデザイナーのジャック・アイム
            (Jacques Heim)と自動車エンジニアのルイ・レアール(Lous Reard)による1946年の創作である。
            こういう水着は、何世紀もの間存在していた。(実際、シシリー島のカサーレの古代ローマの
            別荘のモザイク画で自分は見た。)
            しかし、これに、ビキニという名前を選んだのは、彼ら2人であった。すでに、1932年
            にジャック・アイムは、2つに分れた水着を”atome(フランス語で原子)“と呼んでいた。bikiniは、
            1946年の米国によるビキニ環礁における原爆実験の衝撃に因んで付けたものである。
            サン・トロペの上記パンプロ―ナ海岸で、50年代のスターのブリジッド・バルドーが着て、
            一気にヨーロッパで流行し始めた。ということは、ビキニも、モノキニも、サン・トロペから流行が
            始まったということになる。