ミャンマー・微笑みの人々

(兼高かおるさんを偲ぶ会)


当社 野口 正二郎

今年、2019年1月5日(土)、兼高かおるさんが、ご逝去されました。御年90才。
うるう年の2月29日生れで、ご本人はジョークで満20数才と言っておりました。
私の所属する日本旅行作家協会(JTWO)の前会長で、2007年から2011年まで
会長をお勤めになりましたが、いつも気品のある素敵な人でした。
偲ぶ会が2月28日(木)ということで、ミャンマー旅行と重ならず、安堵しました。

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●写真説明:(ホテルニューオータニ鳳凰の間)
5)発起人・菊間潤吾氏挨拶(日本旅行業協会・副会長) 
6)発起人・下重暁子氏挨拶(日本旅行作家協会・会長)
9)バースデーケーキとホテルニューオータニのパティシエ 
10)ジャズシンガー・阿川泰子さん(中央)と司会者・須磨佳津江さん(右・元NHKアナウンサー)
11)オランダ在住の画家・吉屋敬さん(左)と 12)兼高かおる基金代表理事の閉会挨拶
13)発起人・菊間潤吾氏と下重暁子氏 14)お土産に頂いた処女エッセイ集の新装版と写真集
2月28日(木)「兼高かおるさんを偲ぶ会」がホテルニューオータニ・鳳凰の間で開催されました。
兼高かおる基金の粋な計らいで、会費、香典、供花、供物を辞退され、平服にて参加ということで、
約420人が参加。発起人には、著名な方々16人が名を連ねておりました。
受付を済ませると、入り口の手前に旅行のお写真とお召しになられた衣裳が5着展示されて
おりました。本名が兼高ローズさんということで、入り口でバラの花をひとつ受け取り、中央の
祭壇の前にある地球をイメージした丸い草花に一輪差し込みました。祭壇に兼高かおるさん
が微笑んだ写真が飾られております。右手のテーブルには、愛用の旅行メモ手帳や受賞のメダル、
写真等が置かれておりました。そして両サイドのスクリーンでは「兼高かおる世界の旅」
(TBS系)の映像がずーと写されておりました。1959年(31才)から1990年(62才)
まで約150ヶ国に亘り取材された懐かしいものです。快活に動き回る兼高かおるさんがおります。
楽しくお酒を嗜まれた方なので、ロゼのシャンパンや多種類の赤・白ワインが用意されました。
発起人の菊間潤吾氏(日本旅行業協会・副会長)、下重暁子氏(日本旅行作家協会・会長)、
何人かスピーチがありました。広い会場に沢山の人で賑わっておりました。兼高さんの人気が
分かります。サックス奏者・三四郎さんの演奏と阿川泰子さんの歌を聴いていると、91才の
バースデイケーキが運ばれてきました。多くの人と会い、盛りだくさんの会でした。
お土産にバラの花を一輪、出口で兼高かおるさんの幻の処女エッセイ集「世界とびある記」
新装版と、写真集を1冊ずついただき大変貴重な品となりました。
偉大な旅行家、ジャーナリストとして人々の記憶に残ってゆくことでしょう。
ご冥福をお祈りいたします。


(日本旅行作家協会・鉄道研究会のツアーに参加)
1月下旬、JTWO・鉄道研究会がミャンマーの鉄道に乗車する旅行を計画したので、
急遽参加を決めました。東南アジアは、ほとんど旅行しましたが、ミャンマーのみ未だでした。
去年10月より1年間、ミャンマーは観光の場合にビザが不要となり、好都合です。
 参加者は、鉄っちゃんとして、カナダ方面の旅行を主に手掛けるH氏、著名な鉄道写真家
S氏、国際フォトジャーナリストのK氏、元M新聞記者N氏、ロシア、東欧、旧ソ連の国々に
強いW女史とご子息、ゲスト参加のMさん、それに私の8名でした。
旧知の仲間と一緒の海外旅行は、楽しいものです。

(ミャンマーまでの航空便は全日空が便利)
 グループ本体は、キャセイ航空が安いということで、香港乗換で往復しました。ベトナム航空
やタイ航空等、東南アジア系の航空会社を利用する方法もありますが、私は成田空港から
全日空の直行便でヤンゴンへ飛びました。ボストンバッグ1つ機内持ち込みです。ヤンゴン
空港での入国手続は簡単、税関検査無しで早く出られ、現地ガイド・テンテンさんの出迎えを
受けました。専用車にて、夕暮れの市内、車や人々の行き交う風景を見ながらホテルへ。
そして無事ホテルに到着しました。初めての国は、出迎えがあると安心です。

(ミャンマーの両替は高額紙幣の米ドルで)

事前に調べてみると、両替可能な通貨は法律上、米ドル、ユーロ、シンガポールドル、
マレーシア・リンギット、タイ・バーツとの5種類となっています。法律上ということなので、
日本円等も両替できるのでしょう。ヤンゴン空港の銀行で、手持ちの米ドル100ドルと、
233マレーシア・リンギットを両替すると、223,565K(チャット)になりました。
1チャットが、0.073円の換算。ガイドがいて、両替書も貰い、窓口にて確認しました。
新札で高額紙幣のほうが両替率が良いので、100米ドル札等がお勧めです。
(ヤンゴンは日系のホテルに宿泊)
 宿泊は、ヤンゴン・インターナショナル・ホテル。ロケーションは、中央駅やダウンタウンから
やや離れれていますが、大通りの角、人民公園の前、シュエダゴン・パゴダに徒歩圏内と
便利な所です。築30年ということで古い建物ということは否めないが、日本人の経営と
いうことで安心感があります。ロビーの天井は高く、当時としてはモダンな設計で、最上階の
9階、スカイバーからライトアップされた、シュエダゴン・パゴダの美しい夜景が望めます。
スカイバーのツナサラダは辛くて半分しか食べられなかったのが、苦い思い出になりました。
宿泊した7階の室は、42uと広く、人民公園向き、TVはNHKが入り、朝5時30分に朝ドラ
「まんぷく」を見ることができました。日本と2時間30分の時差で、便利なこともあります。
 偶然、小野寺紘毅社長が1週間ほどヤンゴンに滞在中で、私共のグループと親しくなり、
奥様同伴、外のレストランで火鍋料理の夕食をご一緒したり、とても気さくで楽しい方でした。
日本ミャンマー文化経済友好協会の会長を務めるなど、ミャンマーでは著名な日本人です。
隣りに新しいホテルを建造中、秋にはできるそうなので、楽しみです。ホテルのサイトを付けます。

http://y-intl-hotel.com/
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●写真説明:(インターナショナルホテル)
15)42uの室 16)和食ブュッフェ朝食 17)ホテルの正面より 
18)朝、小野寺社長(右より2番目)と 19)小野寺社長夫妻と火鍋料理の夕食会
ホテル・ガンゴウは、私の知人、東京大森ラインズクラブ所属の下川浩氏が経営するホテル。
場所は、ダウンタウンの西にあり便利、3星クラスで74室。築数年のホテルにて、新しいです。
2階に日本レストラン・鎌倉があり、ランチに天ぷら定食とキリンビール小瓶2本をいただいたが、
美味しく、また10米ドルとお手頃な値段でした。宿泊費も安く、経済的です。サイトを付けます。

http://www.hotelkankaw.com/ja/
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●写真説明:(ホテルガンゴウ)
20)天丼のランチ 21)NHKの相撲中継が見られた 22)レストラン鎌倉のスタッフ 23)客室 
チャトリウム・ホテル・ロイヤル・ヤンゴンは、元日航ホテルでカンドーヂ湖畔にある5星の高級ホテル。
開業は1998年、2008年に改装済で、日本大使館も近くにある良いホテルです。
カンドーヂ湖畔まで歩き、ユートピアタワーという人工の小山の展望台に登った後、立ち寄りました。

ヤンゴン川岸には、ヴィンテージ・ラグジュアリー・ヨット・ホテルという客船を使用した水上ホテルが
あります。104室、ダウンタウンのポータタウン船着場にあり便利です。


(ヤンゴン観光の目玉は金ぴかの仏教寺院)
 1日早くヤンゴン入りしたので、本体が夕方着くまで個人行動です。日本食の朝食の後、
広い人民公園を散歩しながら、ミャンマー仏教の総本山、シュエダゴン・パゴダへ行きました。
西口から入り、靴と靴下を脱いで持参の袋に入れて、建物に入ります。入場料は10,000
チャットとミャンマーにしては高いです。西口からはエスカレーターを乗継、仏塔の広場に出ます。
中央の仏塔は、ひときわ高く金色に光輝いて壮観です。高さ99m、一周433mあります。
時計回りで歩くと、仏像の鎮座する建物が多く、ゆっくり見学すると1時間以上かかります。
ミャンマーの人々は、建物の中の仏像を拝み、そこでゆったりと座って時を過ごしております。
英語で有料のガイドをしたいと言ってきた人がいましたが、丁重にお断りしました。
中には中年男性が、仏陀の足跡を祀った仏殿があると親切に案内してくれましたが、
最後にチップを要求されるのではないかと杞憂し、お礼も言わずに失礼しました。
中央の仏塔に金箔修理をするので、大金を出して寄進する人達がおり、金箔を入れた金色の
篭が、ロープで仏塔の上部に登って行くのが見られました。熱心な仏教徒が多いです。仏教徒は
国民の85%で、2日後の日曜日にもグループで訪れたが、沢山の人達がお参りに来ておりました。
南口からは、エレベーターがあり便利です。初回は気が付かず、長い階段を下りてきました。
館内の階段の両側にお土産店が段々で並んおり、お店の女性達が座ってお客さんを待っています。
ミャンマーでは、多くの女性や子供が「タナカ」という白い色の日焼け止めを顔に付けています。
その関係か、美人が多いかもしれません。
 1人観光の午後、国立博物館に行ってみました。1階から4階まであり、各階に見る物が多く
興味深く回りました。良い展示物が多くお勧めです。2階まで見てギブアップしました。
午前中に歩き過ぎたようです。タクシーに2回乗りましたが、それでも約2万歩になりました。
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●写真説明:(シュエダゴン・パゴダ)
24)西入口 25)結婚前の写真撮影 28)戻ってきた釣り鐘 31)仏足石(仏の足跡) 33)本塔
34)本塔へ金箔を奉納する篭 35)インタビューにきた女子大生 36)菩提樹の下
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●写真説明:
38〜42)国立博物館 43・44)ハッピーカフェ・ヌードルでの夕食

(パゴーの観光)
 パゴーはヤンゴンの北東70kmに位置し、パゴー管区の州都で、ビルマの竪琴の舞台でもあります。
途中ほとんど信号がが無く、時々渋滞があり、バスは結構とばしましたが2時間ほどかかりました。
最初に行ったチャカッワイン僧院は、とてもオープンで何でも見せて貰えます。10時前に着いて、
裸足になり広い台所に行くと、5〜6人の女性が食事の準備中で、野菜や果物を調理していました。
寺の後ろに出てみると、パゴー川が流れており、対岸にレンガ工場が見えます。11時前になると
多くの観光客が寺の廊下に集まってきました。お寺の中で托鉢があります。食堂の入り口に大きな釜
があり、私達は中のご飯をお皿に盛り、廊下に立ってお坊さんを待ちます。地元の人でしょうか、
托鉢の食べ物や、お金を用意しております。日本語ガイドのミョーミン氏によると、僧侶の数は、以前
1, 000人位いたが、現在は368人とのこと。11時になると年配から子供まで男のお坊さんたちが
ぞろぞろお鉢を持って歩いてきます。先のお坊さんはお鉢に一杯、最後のお坊さんは貰いが少ないです。
いずれにしても貰ったものは、再度分配するようです。食事中の所も見学できて、写真も撮れます。
 シュエグーレー・パヤーはお祭りの準備の為に入場できませんでしたが、立派な寺院でした。
昼食は、ロイヤル・テーストという外国人観光客用のレストランで、美味しい中華料理。午後の観光は、
長さ55m、白と金色のシュエターリャウン寝仏(屋内)。高さ30mの太い柱に、東西南北を向いた
4体の仏坐像が青空に映えるチャイプーン・パヤー(屋内)。どちらも歴史があり、また見ごたえがある
寺院です。パゴーは観光地化しているのか、物乞いや執拗な物売りが多く、安い民芸品を買わされて
しまいました。竹細工の帽子1つ、財布3個、白檀風の扇子2個で、10,000チャット。帽子を往路
の全日空に忘れてきたので使い道はありました。航空機の忘れ物は出てこないので、注意が必要です。
 帰路も名産のスイカを売る店が沿道に並び、また工業団地から帰路につく若い女性達が見えました。
ミャンマーには工業団地が20か所ありますが、これから増えて行くことでしょう。
人口は5,000〜6,000万人(おおざっぱですが)いるそうですから、タイ国と同じくらいです。
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●写真説明:(チャカッワイン僧院)
45)入口にて 47〜50)昼食の準備 51〜53)托鉢 54)昼食風景 55)パゴー川 57)樹木と花
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●写真説明:
58〜60)シュエグーレー・パヤーの前で 61)チーク材の家屋 62)陸橋より線路を写る
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●写真説明:(シュエターリャウン寝仏にて)
63)ミャンマー美人の微笑 69)「タナカ」を売る店
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●写真説明:
71〜73)チャイプーン・パヤーにて 74)沿道で名産のスイカを売る店多し

(ヤンゴン市内観光の続き)
 夕刻、ミャンマープラザという4階建ての大きなショッピングモールに立ち寄り、その後にカンドーヂ湖の
水上レストラン・カラウエイパレスにてブッフェの夕食とショーを見ました。ショーは断続的に行われましたが、
座席が遠くて良く見えませんでした。前方の席が空いていたのに、どうしてかわかりません。
 翌日、私にとっては2回目のシュエダゴン・パゴダの見学後、チャウッターヂー・パヤーで大きな寝仏を
参拝。パゴーの寝仏より一回り大きく、全長70m、高さ17m、美人(美男)な仏さんでした。
 午後は、アウンサン将軍博物館。1945年から約2年間、暗殺されるまで家族と過ごした洋館です。
1階の食堂にご夫妻と子供3人の写真があり、2階にはご夫婦の、そして子供たちのベッドルームが
見られます。スーチーさんが2才の時にお父さんは亡くなったので、ほとんど記憶にないと思います。
ビルマ独立に貢献したアウンサン将軍は、国民に尊敬されており市内等で銅像を見ることができます。
スーチーさんが長年幽閉されていたカンドーヂ湖畔の家は、入ることができず、車窓からの見学でした。
スーチーさんは国家顧問という立場で、首都のネピドーにいることが多いのではと推察します。
 ダウンタウンでは、アウンサン・マーケットやボータタウンというヤンゴン川の波止場を見て回りました。
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●写真説明:
75)カンドーヂ湖畔のユートピアタワー 76)ユートピアタワーから、カンドーヂ湖とカラウェイパレス(湖上レストラン)を望む
77)ミャンマープラザ内 78〜81)修理中のチャウッターヂー・パヤーにて 82〜86)アウンサン将軍博物館

(ミャンマーの鉄道事情を視察、乗車)
 朝7時ホテルを出発、鉄道研究会の皆様について行きました。
ヤンゴン市内の鉄道は環状線になっていますが、途中工事中の箇所があり、1周はできません。
午前7時30分頃、環状線のインセイン駅という、飛行場の西に当る所にある駅に行きました。
ホームには自由に入れ、何本か中央駅に行く電車を見ました。日本製の電車もあり、行き先や
車体の脇に日本語が見られます。先頭車両の行き先は(多治見―美濃太田)など、そのまま使って
おります。日本より中古車両等を寄贈しており、かなり援助しております。
線路の幅は、日本では1.435mですが、ミャンマーでは1mで、直して使っているようです。
 午前8時30分頃、近くにある大きな整備工場(LOCOMOTIVE WORKSHOP、INSEIN)を
訪問しました。会議室で工場の上層部、GMのThet Lwin氏、副GMのU SAN MYINT氏
他数名と面会して、ミャンマー鉄道の現状説明と質疑応答、工場見学を行いました。
ミャンマーの鉄道は1875年に始まり、この工場は1975年に開始しました。
約400台のディーゼル機関車があり、日本製は107台あるそうです。線路は、シングル(単線?)
5,143km、ダブル(複線?)701km、合計5,844km。北部のカチン州まで行っております。
926駅、トンネル12ヵ所、橋10,760ヵ所あり。最高時速は60kmで走行、80kmをめざします。
ミャンマーで観光列車が将来走る可能性があるか、質問しましたが、まだまだ遠いことのようです。
2019年4月にJAICA,JCCの関係で新しい電車が来る予定です。私達が会議室をでる際に、
JAICAの方が待っておられて、会議室に入られました。私達は2名の技師が付いて、修理中の工場
へ入りました。かなり大きな工場で、技術者が修理に勤しんでおりました。あまりできない体験です。
 インセイン駅に戻り、元JR東海の車両にてヤンゴン中央駅まで乗車。時速20kmでゆっくり走ります。
車内には飲み物、フルーツ、うずらの卵など、売り子が行ったり来たりで賑やかです。
途中13駅に止まり、20km位の距離を50分かかり、ヤンゴン中央駅に到着しました。古い駅舎です。
 駅の南がダウンタウンで、英国時代の重厚な建物が多くあります。高層ビルもあり日系の会社が入る
さくらタワー20階のレストランで、市内の景色を見ながら軽いランチ(ココナツ麺)を取ることができました。
(ご一緒した滑志田隆氏が、当社のホームページ・旅行記に「ミャンマー鉄道の青い雲」という題で、
詳細な記事を載せてありますので、どうぞ御覧ください。写真も沢山載せております。)
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●写真説明:
87〜89)ミャンマー鉄道
百聞は一見にしかずで、初めてミャンマーに行きましたが、全体的に好印象でした。乾季ということで
滞在中は晴天で、蒸し暑くなくて快適な気候です。人々は優しく穏やかで、人の顔を見るとにっこり
微笑んでくれます。写真を撮っても避けたりしないで、普通に取らせて貰えます。まだ観光客ずれしてない
ということでしょうか。物価が安いことも嬉しいです。観光はビザが不要になったので、今後益々観光客が
増えると予想されます。観光等、お勧めの国です。
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