9月23日()9日目: ヌラーゲ ローサとサルジニア・ミニアチュア―

西海岸のBosaに近いホテル(アグリツーリズモ)からカリアリに移動しながら、途中Nuraghe Losa、そこからは大分離れたとサルジニア・ミニアチュアと、その脇のNuragheSu Nuraxiを見た。11時間10分を要し、123 km走行し、カリアリ郊外の宿泊地(B&B)に到着した。出発するときは、多少、雨が降っていたが、最初の訪問地ではすでに止んでいた。しかし、そこでは相当な雨が降ったらしく、`特に舗装していない道路は水浸しになっていた。サルジニアは、11泊したが、その間、傘を要したことは無かった。入場料は110 Euroであったが、あまり人気が無いらしくほとんど入場者は居なかった。

Nuraghe Losa(ヌラーゲ ローサ)

Nuraghe Losaの入場券を別棟にある店で購入して、案内人に連れられて、グループで入る。

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Oristanoから東北に延びる道路が二股になる付近の赤印の位置にNuraghe Losaがある。Bosa付近の宿から、カリアリ付近の宿に移動する途中に寄る。

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説明の看板:AD1-2世紀のローマ帝国時代の火葬埋葬所とある。

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Lo2の一部の拡大。

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入場券以外にもいろいろ販売している。購入する人は、ほぼ、ここの観光者に限られる。

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BC1500頃にできた。中央の塔は尖塔が崩れ落ちたが、今は、13 mの高さがある。

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天空への穴がある。

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Nuragheの中で外に出てみると、他の出口から出た人が見える。

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広い敷地の見学者の通る道付近にある先ほどの店(Lo4)の宣伝看板。

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Nuraghe本体の横にある円形の石の跡;何に使われたか聞き漏らした。

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見る角度によって違う形になる。

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入場者グループの退場。Lo2から、ここまで約45分。

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Nuraghe Losaの位置を示す近くにあった看板。近辺の観光施設などとの位置関係が分かる。Baruminiとあるのは、次に行くSardegna MiniNuraghe Nuraxiのある場所。

Sardegna in Miniatura(サルジニア・ミニアチュア)

 サルジニア島の名所のミニアチュア―を集めた場所がある。地図(Lo1’)で見ると辺鄙なところにあるが、サルジニア島で唯一のユネスコ世界遺産のNuragheの近くにある。看板の「Sardegna in Miniatura」は、イタリア語と英語の混同かと思ったが、in もイタリア語で、英語と同じ意味で使えるので、全体は、正しいイタリア語である。ここを見て、本島で、随分見残したところがあるので、ここを一番先にみてから、他の場所を訪問すべきだったと思った。フランスやオランダで同様のものを見たが日本にもあるのだろうか。子供の教育に良いと思うが、観光客はほとんどいないので、定期に運航するミニボートは、入場の際には予告されたにも拘わらず運航されなかった。(赤字)の場所は訪問した場所である。(橙字)は、確信がないか、類似のものを見たことを意味する。

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サルジニア・ミニアチュアの入口;入場料は110 EuroLo11から、20分しか経過していない。

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入口の近くに高台があって、そこから園内が一望できる。

Mi3

園内の運河を周遊するミニボートだが、入場者が少なく何の知らせもなく運航中止。

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Sassariで見た大聖堂。以下、訪問した場所の写真番号は、ボールドの赤字で書く。

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AlgheroMura(城壁)とある;訪問したところだが、小さいため、このようには感じられない。

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SaccargiaSantissima Trinita教会;色合いが現物とちょっと違いように感じる。

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Oristanoのドゥオーモ;Oristanoの近くまで行ったが、訪問しなかった。

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Fordongianusの公共浴場;AD1世紀のForum Traianiと呼ばれる「ローマ風呂」である。Oristanoの近くにあるが、全く知らず行けなかった。今回のサルジニア旅行で、見過ごした一番残念な場所である。入場料を取って、観光客を入れているが、浴槽(大プール)に入れるのかは分からない。Mi9’Fordongianusの場所を示す; Nurhaghe Losaを訪問したので、場所的にも時間的にも訪問できる場所であった。

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Nuraghe Santu Antine920日の項に書いてあるように訪問した。

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Sa Accoveccadaのドルメン。巨石文化時代の墓で、第3ミレニアムの最後(BC3000年代の後半と解釈すなわちBC3000年に近いと解釈)の建設で、高さ2.7 m、長さ5 m、幅2.5 m、屋根は18t ある。地中海域での最大のドルメンである。場所をMi12’に示すが、十分訪問できたのに、下調べ不足で見逃したのは残念であった。

Mi12’

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Rocca dell’Orso Bear Rock :熊の岩」という意味。熊というより龍に似ているという評論もあるが、この写真を見る限り、両者とも似ていない。場所は、Palauにあるが、気づかず見なかったが(入場料:2 Euro)付近には、いろいろな巨石があった。18日のPa1の写真のようなものであろう。

Mi14

Palauの沖にあるI. Caprera(カプレラ島)は、イタリア独立の父であるGaribaldiの家と墓があることは知っていたが、島にわざわざ渡るのも難儀なので行かなかった。

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Scorcio di Porto Cerbo :辞書を引いても Scorcioという意味が良くわからないが, 英訳に foreshorteningとあるので、ポルト・チェルボの一端という意味であろう。18に書いたように当地はエメラルド海岸の代表地である。ここにある建物は、何の建物かは分からない。

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Arzachena(アルツアケーナ)のCoddu Ecchju(意味は不明):同島で一番重要なtombe dei giganti だそうで、説明は、Serra OrriosSo11’に記した。

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NuoroOrgosoloの北十数キロの町)で、829日に行われる収穫祭Sagra del Redentore(解放者)の像:この像は、1901年に、法王LeoXIII世の呼びかけでキリスト教の19世紀を象徴して建てられたものの1つである。

Mi18

Orgosoloの壁絵:サルジニアで、最も特徴のある町の1つである。

Mi19

本島で一番高い山のla Marmora (1834 m)Gennargentu(ジェンナルジェントウ山脈)。最初の宿泊地から、直線距離で、22 kmで、途中に遮る高さの山はないので、見えたはずだが、認定はできなかった。資料編の田舎風景で述べるように、移動中に、大分、近くから、見たと推察している。夏季に降水量が少ない地中海領域で高山があることは、人が住むうえで大変重要である。高い山のないマルタ島は、昔は人が住めなく、今でも水は輸入していると聞いた。

Mi20

この直後に行く、すぐ近くの本島唯一の世界遺産のヌラーゲSu Nuraxi(スー・ヌラージ)で、Barumini(バルーミニ)は当地の名前である。これができたのは、Bc1500年ぐらいである。Acとあるのは、イタリア語avanti Cristo(before Christ紀元前)を意味する。

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カリアリで訪問するNostra Signora di Bonaria大聖堂(AD.1704年)建立。

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Nora25日の地図Sp1’上、Pulaの先)にあるAdorianoHadrianus帝)がAD 138年に建てた古代劇場。

Mi23

サルジニア島は観光関係の施設などが主と思っていたが、いわゆる「サイエンスパーク」Polarisというものがあり、企業などの参加した研究所が島中で、4か所あり、ここがそのセンターであることをこのミニアチュア―から知った。Mi24’は、そこのホームページにある地図である。

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S. Pietro島;サルジニアの西南に位置する島;サルジニアでは、一番西にある。

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これから行くことになるカリアリの大聖堂。

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付近にあったアグリツーリズモの案内看板:ドイツ人の旅行者が多いので、ドイツ語で書いてある。

Nuraghe su Nuraxi(ヌラクシのヌラーゲ:世界遺産)

Nuraghe su Nuraxi(または、Nuraghe di Barumini:バルミニは当地の名前)は、サルジニアに数あるNuragheの中で一番と評価されていて、サルジニア島で、唯一ユネスコ文化遺産に指定されている。サルジニア・ミニアチュア―とは、直線で100 mぐらいしか離れていない。入場料は、16.50euro案内人付の入場である。脇にある博物館に入ることもできたが(両方入る場合の入場料10 Euro)、そちらは、すでに他で博物館に入っているのでスキップした。BC1500年ごろの建設で、一時は3階層あり、高さは40 mあった。BC7世紀に一部崩壊したが、無人とはならなかった。原始的な上水道と下水道の跡が見つけられている。この地は、1949年にサウジニアで最も有名な考古学者によって発見された。発掘は、6年を要した。本島で完全に発掘が完成した唯一のヌラーゲである。

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先頭は案内人。

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中央の空間で説明する案内人。イタリア語と英語で説明があった。

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上から見た中の様子。

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上から見た周囲の風景

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階段は、ところどころ手を使わないと登り降りできないところもあり、ある程度の体力を要する。

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井戸の跡。

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下から上を見上げているところ。

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上から下を見たところ。

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下から見たヌラーゲと見学者。見学者は、20人強であった。国籍は判断できない。

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ヌラーゲの近くにあるCasa Zapta博物館の広告板:考古学にあまり造詣がないので入らなかった。